心に残り続ける言葉たち (3)

気が付けば10月がスタート。
日中はまだ夏の暑さが残ってますが、朝晩はようやく涼しいと思えるほどになりました。
遅くなりましたが「心に残り続ける言葉たち」の続きをまた書いてみたいと思います。

3.「人を幸せにしたいなら まず自分を満たすこと」

私の初めてのロミロミの先生が教えてくださった言葉です。
またロミロミに絡む話になりますが、それくらい私の人生の中で心の在り方を大きく変える必要のあった期間であり、心に残る出来事や言葉との出会いも多くあった期間でした。
セラピストとして活動するということは、実は誰かの為では無く、まず自分の為になる生き方を真剣に考えなくてはならない、という、そういう学びの期間でした。
先生は続けてこんなことを仰ってました。
「シャンパンタワーをイメージしてみて。一番上のグラスにシャンパンが満タン以上にならないと下のグラスにシャンパンの液体が行き渡らないでしょ?あれと同じで、自分が満たされてないもので他の人を満たすことは出来ない、と言うことよ」と。

シャンパンタワー。その実物は見たことないけど何だかおしゃれな例えだなあ、なんて最初呑気に考えていました。この言葉は何となく心に引っかかってはいたけど、とりあえず習ったロミロミの手技を覚えるのに当時は必死でした。
言葉の意味について実感を持つようになったのは、その後自分がセラピストとして仕事をするようになってからでした。

この言葉は3つ上げた言葉の中でも、一番、今でも何度も、よく噛みしめることの多い言葉になりました。
そして、2番目に上げた「自分を守り過ぎることは自分を滅ぼすことである」という言葉の意味と、この言葉は相反するようだけど、この2番目の言葉の『前提条件』として心に留めておくことは、とても大事なことだと思いました。
ロミロミのセラピストとしてお客さんに相対していると痛感して行くのです。
「人を幸せにしたいなら まず自分を満たすこと」
これは私の中ではいつしか「人を癒したいなら、まず自分を癒すこと」
そういう意味にもなって自分の中により響くようになりました。
誰かと真摯に一対一になることは、思っていた以上に自分の奥深くにあるものについても真摯に向き合わないといけない機会でした。
人を癒す仕事をしながら自分を深く見つめ直すと、自分が思っている以上に、自分には癒すべき部分が多いことに気づいて行くのでした。

セラピストの仕事を辞めてすぐの頃、静かな田舎町で一人暮らしをしていたこともあって、誰にも気を遣わずたっぷりある時間を使い、一人きりでかなり深い瞑想のワークを何日もしていた時がありました。その時期をきっかけに、自分の様々な過去世や深い部分にあった未消化な感情など多くの気づきがありました。
で、そんな風にさんざんストイックに自分と向き合って、自分の中にあったエネルギーのことでわかったことはたくさんあったけど、、
癒すべきものを自分の奥の奥まで追いかけ頑張ったところで全てを追い切れるものでも無いんだな、ということ。結局、自分はそんな風に修行めいたことを続けたいわけでは無いんだな、ということ。そして本当はそもそも自分がヒーラーとしてセラピストとして立派に活躍しよう、とか目指したいとか、そこまでは思っているわけでは無いんだな、ということ。
そんな自分の、割とすぐ足元にあった、何てことない自分、本当は求めてないことをやろうとしていた自分、に気がついて行くのでした。
なんだ、自分はいつもかっこつけていたのかも知れないんだな、と。
自分に対して知らず知らず背負わせていたかも知れない色々な決めつけや古い設定を外すようにしました。
そして、とどのつまり、自分は何がしたかったんだ?と思い始めました。

一つ思いついたのは、幼稚園から高校まで通っていたエレクトーン教室。特に小学校時代に習った先生がとても印象深かったことを思い出しました。
その先生は大柄な女性で、でもいつも個性的な髪型とかわいいワンピースを着こなしていらっしゃる人でした。あるとき「先生の着てる服はいつも可愛いですね」と言ってみたら、先生は「私のサイズの服ってなかなか無いからいつも自分で作ってるの。これもそうよ。」と言われ激しく衝撃を受けました。自分で!?作れるんだ!?自分の服を!?

その時からその先生は、ずっと私の中で憧れの存在であったことを、急にふわっと思い出したのです。
一念発起。洋服づくりをしよう!と思い立ちました。それまでに全くしたことの無かった世界に急に足を踏み入れたくなりました。ラッキーなことに当時住んでいた部屋の大家さんが、使ってないミシンを借してくれると言ってくださる。
型紙?縫い代?色々とわからない言葉や技術と格闘しながら独学で、とりあえず最初はノースリーブの簡単なワンピースを作り上げました。だいぶ稚拙な出来あがりでしたが、それでも心の奥が飛び跳ねて大喜びしているような感覚がありました。
その服作りをする頃からです。
自分の中に、何かがいる、、?と感じるようになりました。インナーチャイルド?なのかな、と最初思いつつ。それにしては主張が激しい(笑)感じで、私が実際幼かったときの自分とは大きく違う気もして。しばらく謎な存在でした。でもそのやたらイキのいい幼女のような存在と最初は瞑想などで、そして何をする時もよく語り合うようになりました。

あるとき、その子から「あの服作ってほしい」というリクエストを感じるようになりました。それは、私がいずれは作ってみたいと少し先の目標にしていた服でした。ただそのときの自分の技術ではそれを作るのはまだ難しい。。なので断っていました。でも心の子どもは一歩も引いてくれない。挑戦して!!というのです。何回も失敗していいよ!生地とか材料は何とかなるから!時間もいっぱいあるから!みたいに繰り返してくるのでした。
あまりにそのメッセージは強く繰り返されるので、また思い切ってみることにしました。
型紙はほぼ自分で考えついたオリジナルのパターン。まだまだ技術は足りなく、製作はかなり難航しました。何度も諦めかけ、それでも最後まで粘り、ようやく出来たときはちょっと泣きました。(苦笑)
それが完成して割とすぐ、嬉しいことが起こりました。
実家の家族から連絡があって、皆でハワイ旅行に行こう、と言う話でした。びっくりしました。ロミロミの仕事は辞めたけど、ハワイにはまた行きたい、とずっと思っていたからです。そして作ったワンピースと言うのは、ハイビスカス柄のカシュクールのワンピースでした。
作り上げたはいいけど、どこにコレを着て行くよ!と自分で突っ込んでいたのですが、あっさりそれを着て何ら問題のない旅の機会が、急にめぐって来たのでした。

自分の理想の形の服を作ったら、自分が本当に嬉しい「福」を引き寄せることになったのです。私の中の子は、、もしやダジャレ好きか!?(←そこ?)

後日、自分なりに調べて、私の心の中にいる子どもは、マジカルチャイルド?と呼ばれたりもする存在なのか?と考えるようになりました。とは言え、よく知らんけど・・(笑) 

「人を幸せにしたいなら まず自分を満たすこと」の話から、やや遠のいた感じになりましたが、結局私がシャンパンタワーのてっぺんのグラスだった場合、人にシェア出来るエネルギーとは何か?と問われたら、その一つは多分、この心の子どもやガイド達とわちゃわちゃしながら作って、作ったものから現実を引き寄せることなのかな、と言うことです。
自分が一番やりたいと思ってやれたことが、下のグラスになってくれている周りにも、そのまま「やりたいことをやる」流れをシェアする、、そんなイメージです。

きっと、ですが、逆に自分を犠牲にしてまで無理に与えようとすれば、きっとその「無理をする」エネルギーも与えてしまうように思います。
知人で、本当は結婚生活があまりうまく行ってなかったけど、仕事の出来る方だったので、そこを認められてか、とある若いカップルの仲人を引き受けることになった人がいました。けれどその結婚は式まで進展せず割と早々に破綻したのだそうです。もちろん、仲人側の問題だけでなく色々な要素が重なって、そうなったのかも知れません。

自分が誰かに影響を与えるような立場に立ったとき、自分の言葉や行いの奥にあるものが、与えて大丈夫なものか、与えられて本当に嬉しいものか、自分自身でも考えが及ばない時があるようにも思え、そんな時はドキドキすることもありました。
でもそういう時こそ、心の子どもの正直な声に耳を傾けるようになりました。かっこつけず、人にいい顔しようとしてないか。やって心地いいか心地よくないか。心が本当は無理をしてるときはスムーズに物事も進まなくなりがちです。そのことに気づき、進む方向を考え直したり。そうやって、自分の中と周りで起きていることの流れを見つめるようになりました。
この十数年、私はこの心の子どもと出会って、すごく私自身まで子どもに戻ったみたいでもあるし、その子の親みたいな感覚でもあるし、ずっと不思議でいつも賑やかで、何だかんだで楽しいです。あと不思議なことに、本当にやりたいことであれば、周りのサポートも以前より得られやすくなったように思います。

自分に正直に生きる、という言葉もありますが、いまいち自分の正直な気持ち、本当にしたいこと、がよくわかならい。。と言うことなら、まず自分の子ども時代どんなことを願っていたか、そういうところから思い直してみるのもよいかも知れません。

これは多分、私の中にだけ起きている珍しい話、ということではなく、誰の中にも本当は、夢を叶えることに全く躊躇のないイキのいい元気な子どものような存在がいるのだろうと、、そんな風に思うからなのでした。